名誉市民の紹介一覧
更新日:2020年3月8日
久喜市名誉市民
平成22年7月13日に施行されました「久喜市名誉市民に関する条例」は、広く社会文化の興隆に功績のあった者に対し久喜市名誉市民の称号を贈り、その功績と栄誉を称え、市民の社会文化の興隆に対する意欲の高揚を図ることを目的としています。
(故)橋本 亮 〔はしもと あきら〕 明治30年5月6日生 (注釈1)
顕彰 昭和43年1月8日
昭和23年10月第16代久喜町長に就任。 以来4期13年にわたり町の振興・発展に尽力した。 町村合併を遂行し上下水道の建設については町として全国で2番目という偉業をなし また久喜宮代衛生組合の建設 県道大宮栗橋線建設の促進など 久喜町の基礎を築いた。
(故)小林 悦太郎 〔こばやし えつたろう〕 明治13年10月5日生
顕彰 昭和43年12月20日
明治41年に医師を開業すると同時に 学校医並びに村医(町医)として59年にわたり 学校保健と住民の健康と生命保持のために力を注いだ。 特に感染症が発生した当時 予防対策として病舎を建設 また久喜町国民健康保険を開始するなど地域医療の発展に大きく貢献した。
(故)大木 義一 〔おおき よしかず〕 明治30年11月6日生
顕彰 昭和54年11月2日
昭和30年2月初代鷲宮町長に就任。 以来5期20年にわたり町の振興・発展に尽力した。 鷲宮町の基礎を築くとともに 高度成長期における町内の大規模開発に際しては計画的なまちづくりを推進し 郷土の発展と住民福祉の向上に大きく貢献した。
(故)遠藤 長一郎 〔えんどう ちょういちろう〕 明治32年1月13日生
顕彰 昭和57年2月28日
昭和29年10月初代菖蒲町長に就任。 以来1期4年にわたり戦後の菖蒲町の基礎を築いた。 昭和34年から2期8年にわたり埼玉県議会議員として 県政に尽力し地方自治の振興と郷土の発展のために貢献した。 昭和29年から27年にわたり見沼土地改良区の理事長として 土地改良事業に多大な功績を残した。
(故)榎本 善兵衛 〔えのもと ぜんべえ〕 明治38年5月5日生 (注釈1)
顕彰 昭和63年5月26日
昭和37年8月第2代久喜町長に就任。 以来市制施行後の初代久喜市長も務め4期15年にわたり市の振興・発展に尽力した。 県道大宮栗橋線の整備・促進 久喜菖蒲工業団地の造成 久喜駅東口駅前広場の設置 西口駅前広場を中心とした市街地再開発事業の推進など市政の発展に大きく貢献した。
(故)樋口 近之助 〔ひぐち ちかのすけ〕 大正6年11月28日生 (注釈1)
顕彰 平成4年1月28日
昭和22年から11期39年にわたり菖蒲町議会議員として 地方自治の振興に大きく貢献するとともに 菖蒲町議会議長の要職を務め適切かつ円滑な議会運営に尽力した。昭和61年10月第6代菖蒲町長に就任。 以来1期4年にわたり保健センター 清掃センター 役場庁舎の建設など町の発展に大きく貢献した。
(故)細田 嘉 〔ほそだ よみし〕 明治35年12月3日生
顕彰 平成4年1月28日
昭和45年10月第4代菖蒲町長に就任。 以来3期12年にわたり町の振興・発展に尽力した。 生前 町の福祉向上のためにと自宅の土地・家屋・金品などを菖蒲町へ寄贈 その後町において 寄贈された自宅の土地に介護施設「彩嘉園」を設置した。
(故)本多 静六 〔ほんだ せいろく〕 慶応2年7月2日生
顕彰 平成4年1月28日
慶応2年(1866)に河原井村(現在の久喜市菖蒲町河原井)に生まれ 東京農林学校を卒業。 ドイツへ留学後東京農科大学(東京大学農学部)で教鞭をとり明治32年日本最初の林学博士となる。 日比谷公園をはじめ明治神宮や大宮公園など日本各地を代表する公園の設計に携わり「日本の公園の父」とも呼ばれている。
(故)小倉 冨治 〔おぐら とみじ〕 大正9年3月20日生
顕彰 平成7年10月29日
昭和50年2月第2代鷲宮町長に就任。 以来4期16年にわたり町の振興・発展に尽力した。 町人口の急増時期において 公民館 保育所 保健センター 体育センター 福祉センターの建設など 住み良いまちづくりを進めるとともに JR東鷲宮駅の開業に大きく貢献した。
(故)島田 得一 〔しまだ とくいち〕 大正2年5月30日生
顕彰 平成10年3月4日
昭和37年10月第3代菖蒲町長に就任。 以来2期8年にわたり町の振興・発展に尽力した。 また昭和47年から23年にわたり菖蒲町農業協同組合組合長として 平成2年から7年にわたり埼玉県農業協同組合中央会会長として菖蒲町及び埼玉県の農業の振興・発展に多大に貢献した。
(故)堀部 文之丞 〔ほりべ ぶんのじょう〕 明治40年1月9日生
顕彰 平成10年3月4日
昭和24年11月菖蒲町選挙管理委員会委員長に就任。以来37年にわたり選挙事務・啓発活動に積極的に取り組み公正な選挙の執行に大きく貢献した。 また昭和37年から13年にわたり菖蒲町商工会初代会長として 菖蒲町の商工業の振興と地域経済の発展に大きく貢献した。
(故)坂本 友雄 〔さかもと ともお〕 大正13年12月16日生
顕彰 平成10年3月30日
昭和56年9月第3代久喜市長に就任。 以来4期16年にわたり市の振興・発展に尽力した。 久喜駅西口再開発事業の完成 各都市計画道路の整備促進 公共下水道・農業集落排水事業の充実 産業・経済の振興 福祉の充実 教育・文化の振興等市政各般にわたり大きく貢献した。
(故)石井 保 〔いしい たもつ〕 大正2年5月18日生
顕彰 平成10年7月27日
昭和47年3月第6代栗橋町長に就任。 以来3期12年にわたり町の振興・発展に尽力した。 埼玉県立栗橋高等学校の誘致 豊田土地区画整理事業・公共下水道事業の着手 栗橋駅西口開発の転機となった栗橋・大利根土地区画整理一部事務組合の設立など町政発展の礎を築いた。
(故)渡邉 正義 〔わたなべ まさよし〕 昭和14年5月25日生
顕彰 平成16年10月24日
平成3年2月第3代鷲宮町長に就任。 以来3期9年にわたり町の振興・発展に尽力した。 町の都市基盤を整備推進するとともに 温水プール 西コミュニティセンター 図書館 郷土資料館などの建設や東武鷲宮駅の橋上化など 住民の福祉の増進に大きく貢献した。
中山 登司男 〔なかやま としお〕 昭和27年7月13日生
顕彰 平成22年11月7日
平成10年10月第8代菖蒲町長に就任。 以来3期11年にわたり町の振興・発展に尽力した。 学校給食センターを建設するとともに 圏央道 国道122号バイパス 菖蒲北部工業団地及び菖蒲南部産業団地の整備促進を図り 平成22年3月23日には久喜市 菖蒲町 栗橋町及び鷲宮町との合併を果たし 新「久喜市」の誕生に大きく貢献した。
斉藤 和夫 〔さいとう かずお〕 昭和20年6月12日生
顕彰 平成22年11月7日
平成4年12月第9代栗橋町長に就任。 以来5期17年にわたり町の振興・発展に尽力した。 豊田土地区画整理事業・栗橋駅橋上化事業を完了させるとともに 総合文化会館・コミュニティセンターなどを建設した。 平成22年3月23日には久喜市 菖蒲町 栗橋町及び鷲宮町との合併を果たし 新「久喜市」の誕生に大きく貢献した。
本多 健治 〔ほんだ けんじ〕 昭和17年10月8日生
顕彰 平成22年11月7日
平成12年10月第4代鷲宮町長に就任。 以来3期9年にわたり町の振興・発展に尽力した。 JR東鷲宮駅周辺の整備や南部地区の開発促進とともに コスモスロードの整備など住民と協働によるまちづくりを推進した。 平成22年3月23日には久喜市 菖蒲町 栗橋町及び鷲宮町との合併を果たし 新「久喜市」の誕生に大きく貢献した。
(故)鈴木 芳男 〔すずき よしお〕 昭和9年3月12日生 (注釈1)
顕彰 平成23年10月31日
昭和46年5月久喜町議会議員に就任。 以来6期24年にわたり地方自治の振興に貢献し 久喜市議会議長の要職を務め適切かつ円滑な議会運営に尽力した。 埼玉県農業協同組合中央会共通会長として 農業の振興・発展に寄与し また埼玉県厚生農業協同組合連合会久喜総合病院の開設にも大きく貢献した。
田中 暄二 〔たなか けんじ〕 昭和20年6月18日生
顕彰 令和2年3月8日
平成9年9月第4代久喜市長に就任。 埼玉県市長会会長を務める等 6期21年にわたり市の振興・発展に尽力した。久喜市 菖蒲町 栗橋町及び鷲宮町との合併を果たし 新「久喜市」の誕生に大きく貢献した。 合併後新市の初代久喜市長として 卓越した手腕を発揮し 地方自治の振興と住民福祉の向上に寄与し 久喜市発展の礎を築いた。
備考1:推挙年月日順です。
備考2:旧久喜市・旧菖蒲町・旧栗橋町・旧鷲宮町の名誉市民・町民であった14名の方々を合併後新久喜市に継承し、さらに、新市で5名の方が称号を贈られ、現在久喜市名誉市民は19名となっております。
注釈1:氏名の一部にJIS規格第1・第2水準にない文字があるため、第1水準の漢字で表記しています。
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