県指定 神道無念流戸賀崎氏練武遺跡
更新日:2017年12月4日
神道無念流戸賀崎氏練武遺跡(しんどうむねんりゅうとがさきしれんぶいせき)
種別
旧跡
指定年月日
昭和18年3月31日
所在地
久喜市上清久
所有者(管理者)
個人
概要
神道無念流は、下野(栃木県)の福井兵右衛門嘉平がその流祖ですが、明和元(1764)年、戸賀崎熊太郎暉芳(知道軒)が嘉平より免許皆伝を許され、戸賀崎家が宗家となり、安永7(1778)年江戸裏二番町に道場を開くと、門弟3,000人を数えるほど栄えました。中でも岡田十松(羽生市)、大川平兵衛(坂戸市)、斉藤弥九郎(富山県氷見市)など名剣士の出現により、天下にその名を広めました。
戸賀崎家は、新田義貞から9世戸賀崎蔵人三郎が武州戸賀崎(久喜市菖蒲町)に居城していましたが、後に戸賀崎隼人義氏が天正年間(1573~1593)に当地に来て農民となり、義氏から8代目が初代熊太郎暉芳であると伝えられます。2代胤芳(有道軒)、3代芳栄(喜道軒)、4代芳武(尚道軒)と続き、5代保之進(好道軒)の時に道場が廃されました。
旧跡には、「福翁府君神道之碑」(流祖福井翁)「知道軒戸賀崎先生衣□(注記)之蔵」(初代、2代)「戸賀崎先生碑」(3代~5代)「戸賀崎氏練武遺跡」が建ち並んでいます。
注記:巾偏(巾)に責。
神道無念流戸賀崎氏練武遺跡
『広報くき』連載「久喜歴史だより」
第10回 神道無念流戸賀崎氏練武遺跡(しんどうむねんりゅうとがさきしれんぶいせき)
参考文献
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