第10回 神道無念流戸賀崎氏練武遺跡(しんどうむねんりゅうとがさきしれんぶいせき)
更新日:2016年3月23日
神道無念流は、流祖福井兵右衛門嘉平(ふくいひょうえもんかへい)により編み出された剣術の一流派で、戸賀崎(とがさき)熊太郎暉芳(くまたろうてるよし)によって、江戸市中はもとより関東一円にその名声を博していました。
明和元年(1764)に、初代暉芳が久喜地区上清久に開設した道場は、埼玉県内初の道場であるとともに、戸賀崎家5代、150年余続いたことでも有名です。
この道場では、練武と共に常に人間教育を行っており、それは「演武場壁書(えんぶじょうへきしょ)」の道場訓によく現われています。
暉芳は、16歳で江戸に出て、福井兵右衛門について神道無念流を学びました。21歳で免許皆伝を受け、郷里(現在地)に帰り、屋敷内に道場を開きました。35歳の時、再び江戸に出て道場を開き、17年間にわたり門弟の指導にあたりました。この時の門弟は3000人といわれおり、中でも岡田十松(おかだじゅうまつ)(羽生市)、大川平兵衛(おおかわへいべえ)(坂戸市)、斉藤弥九郎(さいとうやくろう)(富山県氷見市(ひみし))等によって、天下にその名を広めました。
戸賀崎家は、新田義貞(にったよしさだ)の流れをくみ、9世戸賀崎蔵人(くろうど)三郎の代に、武州戸賀崎(菖蒲地区)に居城していました。後に戸賀崎隼人(はやと)義氏(よしうじ)が天正年間に上清久で農民となり、義氏から8代目が初代熊太郎暉芳であると伝えられます。
- 初代 知道軒(ちどうけん) 戸賀崎熊太郎暉芳(てるよし)
- 2代 有道軒(ゆうどうけん) 戸賀崎熊太郎胤芳(たねよし)
- 3代 喜道軒(きどうけん) 戸賀崎熊太郎芳栄(よしひで)
- 4代 尚道軒(しょうどうけん) 戸賀崎熊太郎芳武(よしたけ)
- 5代 好道軒(こうどうけん) 戸賀崎熊太郎清常(きよつね)
3代喜道軒は、水戸藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の要請を受け、弘道館の剣道師範となり、上士に列せられ、剣技教授に補せられました。4代尚道軒も同様に水戸藩に招かれました。
しかし、明治維新後の明治9年(1876)に廃刀令が施行されると、武道は徐々に衰退し、150年余続いた神道無念流戸賀崎道場は、大正の中頃廃止されました。その後、神道無念流は、6代守惠(もりえ)を経て、7代惠太郎(えたろう)、8代正道(まさみち)やその一門に継承され、平成15年には道場を復興しています。
神道無念流 戸賀崎氏練武遺跡
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