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第91回 日本資本主義の父 渋沢栄一(しぶさわえいいち)と久喜

更新日:2019年6月19日

 1万円紙幣の肖像が、令和6年度を目途に渋沢栄一へと変更になる予定です。現在の深谷市出身の渋沢は、約500の会社を設立して「日本資本主義の父」と呼ばれており、近代日本を代表する人物の一人です。
 久喜市と渋沢との関係では、久喜尋常小学校で撮影した写真が残されています。渋沢を招待して講演会を開いた際の集合写真で、大正時代から昭和初期のものと考えられます。
 久喜市出身者と渋沢との関係では、本多静六(ほんだせいろく)との深い繋がりが知られています。両者にまつわる様々なエピソードがありますが、ここでは2つ紹介します。
 1つ目は、本多がドイツ留学から帰国した際のものです。同じ埼玉県出身の本多のために渋沢が歓迎の宴を開催してくれましたが、その席で話した本多の提案を渋沢が採用したことにより、現在の青森県野辺地町(のへじまち)などに日本初の鉄道防雪林が設置されました。
 2つ目は、埼玉県出身学生の支援のために、本多が埼玉学生誘掖(ゆうえき)会の創立を計画した際のものです。本多の熱い思いに心を動かされた渋沢は、初代会頭を引き受け全面的な協力をしてくれました。なお本多は、新千円紙幣の肖像予定である北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)と留学帰国の船便が一緒でした。帰国後も親密な交流を続けていたため、本多は新紙幣の肖像予定2人と深い関係にあったことになります。
 このほか、天明5年(1785)、現在の菖蒲町台に生まれた菊池菊城(きくちきくじょう)は、儒学者として各地を巡って学問を教えていましたが、教えた者のなかに青年期の渋沢もいました。また、明治17年(1884)、現在の上川崎に生まれた渡邊得男(わたなべとくお)は、渋沢の秘書的な役割を果たしており、渋沢によって設立された渋沢同族株式会社の取締役にもなっています。


久喜尋常(じんじょう)小学校での集合写真。(前列でステッキを持っているのが渋沢栄一)

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