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第112回 福寿院の徳本(とくほん)名号(みょうごう)塔

更新日:2024年4月1日

問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係

 栗橋宿の中にある福寿院には、丸みを帯びた独特な書体で「南無阿弥陀仏」と刻まれた石塔があります。この文字は、江戸時代後期に、日本各地に足を運び、念仏を伝え歩いたことで知られる徳本上人(しょうにん)が書いたものです。
 徳本上人は宝暦(ほうれき)8年(1758)に紀伊国(きいのくに)(現在の和歌山県)に生まれ、27歳で出家をして各地で修業しました。その後、出身地の関西地方をはじめ、関東・中部地方でも人々に教えを説いて回り、文政(ぶんせい)元年(1818)に江戸で亡くなりました。徳本上人は藩主から庶民まで多くの人々から敬われ、上人が声高(こわだか)に念仏を唱える様子に倣(なら)った「徳本念仏」が流行しました。その人気ぶりは、上人のもとにあまりに多くの人が集まったため、急遽(きゅうきょ)やぐらを作りその上から説法したこともあったほどだそうです。
 徳本上人が訪れた地域には、その独特の書体の名号「南無阿弥陀仏」が刻まれた石塔が数多く残されています。これは徳本名号塔と呼ばれます。徳本名号塔は全国で1500点以上あり、埼玉県内でも40点以上見つかっています。
 福寿院の徳本名号塔の正面には、名号や「徳本」の名前、花押(かおう)が刻まれています。この名号塔が建てられたのは、上人が亡くなった後の文政4年(1821)です。このことから、地元の人々が上人の死を悼(いた)んで建立したものなのかもしれません。


徳本名号塔


名号塔に刻まれた徳本の名前(上部)と花押(かおう)(下部)

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電話:0480-58-1111 Eメール:[email protected]
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