第77回 御陣山遺跡(ごじんやまいせき)(米津(よねきつ)氏陣屋跡)
更新日:2018年12月3日
久喜中央4丁目の中央公民館付近を中心とする御陣山遺跡では、昭和47年(1972)から平成8年(1996)までの計13回発掘調査を実施しています。
縄文時代の主な遺構として、後期(約4000年前)の住居跡(じゅうきょあと)が3軒、土壙(どこう)(人工的に掘った穴)8基、晩期(約3000年前)の土壙1基が見つかっています。
また、出土遺物は、縄文時代早期(約7000年前)から晩期(約2500年前)までの土器片・土偶(どぐう)・耳飾りなどの土製品、石鏃(せきぞく)・打製石斧(だせいせきふ)・磨製石斧(ませいせきふ)・石剣(せっけん)・石棒(せきぼう)・磨石(すりいし)・石皿(いしざら)などの石製品のほかに、弥生時代中期(約2000年前)の土器片が1片出土しています。
中世から近世にかけては、堀跡・井戸跡が多数見つかっていますが、この堀跡の一部は、貞享(じょうきょう)元年(1684)から寛政(かんせい)10年(1798)までこの地を治めた大名米津氏の陣屋の遺構です。
また、この堀跡からは、天明(てんめい)3年(1783)の浅間山大噴火の火山灰が層になって残っていました。出土遺物は、中世の板石塔婆(いたいしとうば)、江戸時代の刀装具(とうそうぐ)(刀の鍔(つば)・切羽(せっぱ)・目貫(めぬき))などが出土しています。
文化(ぶんか)7年(1810)から文政11年(1828)にかけて編さんされた『新編武蔵国風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』によると、「久喜町」の「陣屋跡」の項に、「本町(ほんまち)の内(うち)東にあり、元の領主米津氏世々(よよ)住(じゅう)せしが、寛政十年出羽国(でわのくに)村山郡長瀞(ながとろ)へ所替(ところがえ)ありしより廃(はい)せり。広(ひろさ)七千坪許(ばかり)、四方にから堀の跡あり、今御林(おはやし)となりて松杉繁茂(はんも)す。」とあり、米津氏が長瀞(現山形県東根(ひがしね)市)へ移封(いほう)された後の陣屋跡地は林となっていたことがわかります。
中央公民館のエントランスホールには、発掘調査で出土した土器や石器などの一部を展示していますので、ぜひご覧下さい。
中央公民館エントランスホール
所在地
中央公民館(久喜藩陣屋跡) (中央4-7-7)
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