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第78回 未見(みけん)の我(われ) 安積得也(あづみとくや)

更新日:2018年12月3日

「明日」
  はきだめに  えんど豆咲き
  泥池から   蓮の花が育つ
  人皆に    美しき種子あり
  明日(あす)何が咲くか
      (『詩集 一人のために』より)

 安積得也の『詩集 一人のために』は、昭和28年(1953)の出版以来、度々重版(じゅうはん)され、現在でも多くの人々に読まれています。
 得也は、明治33年(1900)に東京の深川で生まれました。2歳の時に父を亡くし、6歳で桜田村(さくらだむら)上川崎(かみかわさき)(現久喜市上川崎)の母の実家に移り住みました。桜田村で少年時代を過ごした得也は、桜田尋常(じんじょう)小学校(現桜田小学校)を卒業し、粕壁(かすかべ)中学校(現春日部高等学校)、第一高等学校(現東京大学教養学部)を経て、東京帝国大学(現東京大学)法学部に進学しました。
 大学卒業後は内務省に入省し、内務官僚として岡山県知事などの要職を歴任する一方で、詩人や社会評論家としても活躍しました。
 得也の詩や随筆には、人間の可能性を信じ、人生は永遠の途中であるとする「未見の我」という考えが根底にあります。この「未見の我」という考えは、得也が中学1年生の時にカンニングの濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)によって赤面(せきめん)恐怖症となり、悩みぬいた末に「自分の中にはまだ見ぬ自分がいる」と考え、自らの可能性を信じて心の支えとしたものです。
 得也は、第一高等学校への進学を機に桜田村を離れますが、後に母校である桜田小学校をはじめとする江面(えづら)第二小学校・菖蒲南中学校・鷲宮中学校の市内4校の校歌を作詞しています。子どもたちの限りない可能性に期待する得也の歌詞は、今もなお子どもたちによって歌い継がれています。

未見への出発

所在地

郷土資料館(鷲宮5-33-1)

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