第49回 泰山頽(たいざんこぼ)ちて梁木壊(りょうぼくやぶ)る 「中島撫山(なかじまぶざん)の墓」とその一族
更新日:2016年4月22日
久喜市本町一丁目の光明寺(こうみょうじ)に、中島撫山の神式(しんしき)の墓があり、市の有形文化財に指定され、撫山先生の略歴を記した案内板も設置してあります。中島撫山は、明治44年(1911)6月24日に亡くなり、同月27日に埋葬されました。
現在、市公文書館に保存されている拓本(たくほん)から、孫のもと臣(もとおみ)(長男靖(やすし)の子)撰文(せんぶん)の墓誌(ぼし)も一緒に埋められたことが分かってきました。もと臣は、祖父の死に対して、孔子(こうし)が自分の死を予知して歌った「泰山頽ちて梁木壊る」の言葉を引用して、その功績を称(たた)えています。
墓域には、撫山の墓のほかにも、1.撫山の妻、2・3.撫山の妹・弟、4~8.撫山の長男靖とその妻子、9.撫山の六男田人(たびと)の子など、9基の墓に、総勢10人の方が撫山と一緒に静かな眠りについています。
それぞれの墓に彫られた文字と人間関係は、おおむね次のとおりです。
- 撫山先生配(はい)亀田氏之墓」(撫山の後妻よし[きくともいう]の墓)
- 「うた刀自(とじ)のはか」(撫山の実妹有多(うた)の墓)
- 「杉陰(さんいん)中嶋先生之墓」(撫山の異母弟榮之甫(えいのすけ)の墓。当時南画家(なんがか)として活躍した人物です)
- 「綽軒(しゃっけん)中嶋先生之墓」(撫山の長男靖の墓。現在の栃木市内に明誼学舎(めいぎがくしゃ)を設立し、地元の教育に活躍した人物です)
- 「麻須(ます)刀自墓」(靖の先妻麻須[やすともいう]の墓)
- 「綽軒先生配小林氏之墓」(靖の後妻美津(みつ)の墓)
- 「やへ長兒(ちょうじ)のはか」(靖の長女八重の墓)
- 「關雄(せきお)墓」(靖の長男関雄の墓)
- 「中島敬(たかし)・敏両兒(さとしりょうじ)墓」(田人の子どもの敬と敏の二人の墓)
「中島撫山の墓」を訪れた際に、その一族の墓にも目を向けてみると、新しい発見があるかもしれません。
中島撫山の墓
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