第89回 物を大切にする心 高僧 黙山元轟(もくさんげんごう)
更新日:2019年5月31日
鷲宮6丁目にある曹洞宗(そうとうしゅう)寺院の迦葉院(かしょういん)には、開山僧の高僧、黙山元轟がいました。
黙山は天和(てんな)3年(1683)に出羽国増田(でわのくにますだ)村(現秋田県横手市増田町)に生まれました。幼少期は同村にあった満福寺(まんぷくじ)で遊び、10歳のとき仏像の立派な姿をみて、出家を志すようになりました。そして14歳のときにその意思を実現し、同寺院で得度(とくど)(出家して受戒(じゅかい)すること)しました。19歳のとき、黙山の師匠が亡くなった後は、出羽国の妙音寺(みょうおんじ)(秋田県雄勝郡羽後町田代(おがちぐんうごまちたしろ))や下総国(しもうさのくに)の東昌寺(とうしょうじ)(茨城県猿島郡五霞町(さしまぐんごかまち))等で修業し、4つの寺院の開祖となりました。その1つである迦葉院には、黙山関係の古文書が含まれる市指定文化財「迦葉院関係資料」があります。また、迦葉院境内には黙山の生涯を漢文体で要約した顕彰碑が見られます。
黙山は質素倹約を徹底し、物を大切にした人物でした。それを物語るものとして、13年間用いた足袋があります。補修しながら使い続けたといわれ、現在も迦葉院に保存されています。また、東昌寺での修業時代の逸話も残されています。財政的に厳しいなか、黙山は寺の食事をつくる職に就き、なんとかやりくりしていましたが、「黙山は一人だけいいものを食べている」という疑いをかけられてしまいます。それはただの噂にすぎず、実際は他の僧侶の食事よりもはるかに酷く、野菜のクズなどを使って作った食べ物と呼ぶのにも憚(はばか)られるようなものでした。
黙山の物を大切にする心は、物の買い替えが激しい現代において、改めて考えさせられます。
迦葉院
所在地
迦葉院(久喜市鷲宮6丁目16-1)
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