第123回 『埼玉県営業便覧』にみる久喜町の商業
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
明治35年(1902)10月に全国営業便覧発行所から発行された『埼玉県営業便覧』は、明治期の埼玉県の町並みを知ることができる貴重な資料です(昭和52年に埼玉新聞社から復刻されています)。
その内容は、埼玉県の地理と沿革、町ごとの地誌である繁昌(はんじょう)記、町並図の3構成からなっています。また、名所・店舗等の写真、広告もあり、当時の様子を知ることができます。
『埼玉県営業便覧』には、現在の久喜市域では南埼玉郡菖蒲町、久喜町、北葛飾郡栗橋町が掲載されています。
久喜町は、明治期になって日本鉄道や東武鉄道が開業し、久喜駅が開設されると(明治18年日本鉄道(にほんてつどう)久喜駅開設、明治32年東武鉄道久喜駅開設)、物資輸送の拠点として発展していきました。
久喜町の繁昌記には、東武線と日本鉄道奥羽(おうう)線との交差するところにあって、汽車の便が非常によく、右は大宮経由で左は粕壁(かすかべ)経由で、わずかに2時間を出ないで東京に至ることができる、とあります。
久喜町の町並図には、約300の商店が記されていますが、久喜駅前には運送業、人力車業が多く見られ、貨物の運搬のために運輸業に従事した店が多くあったことが分かります。
また、白木綿(しろもめん)商が多いことも特徴といえます。町並図には20の白木綿商が見られます。白木綿は染色されていない糸で織る織物のことで、南埼玉郡は白木綿の主産地でした。なかでも久喜町はその一大産地・集積散地でしたが、町並図からもそれが裏付けられます。
繁昌記には、近傍(きんぼう)は農業を主とし、機織(はたおり)が近ごろは盛んである。鉄道路線の要衝(ようしょう)であるため商業も日々盛んになっている。物産は米穀を第一とし、白木綿がこれに次ぐ。養蚕(ようさん)、製茶もたいへん盛んである。銀行、倉庫、通運の三会社はいずれも盛大である、とあります。
『埼玉県営業便覧』は、この時代の町の様子について色々なことを教えてくれます。
『埼玉県営業便覧』の久喜町の町並図(まちなみず)
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