第45回 今年で130周年を迎える久喜・栗橋停車場(ていしゃば)の開設
更新日:2016年3月23日
今から130年前の明治18年(1885)7月16日、大宮から宇都宮間の鉄道が開通し、久喜と栗橋に停車場(駅)が開設されました。
明治政府は、明治5年(1872)の新橋から横浜間の鉄道開通を手始めに、各地で鉄道建設を進めました。しかし、西南戦争後の財政難によって方針を転換し、国費ではなく半官半民の日本鉄道会社を設立し、鉄道建設を進めることになります。日本鉄道会社は、第一区線として明治17年に上野から前橋間(現JR高崎線)を開通させ、次に第一区線の途中から分かれて宇都宮・白河に至る第二区線を計画しました。大宮での分岐決定後、県内では蓮田・久喜・栗橋への停車場設置が決まりました。工事着工から開通まで、わずか7か月のことでした。
開通日の明治18年7月16日には、後に総理大臣となる伊藤博文(いとうひろぶみ)らが一番列車に乗り、上野から宇都宮へと向かいました。このとき、久喜では提燈祭りの期間中だったこともあり、数台の山車が繰り出し、お囃子(はやし)が鳴り響く中で一番列車を出迎えたと当時の新聞は伝えています。
開通当初は上下線とも1日に2本の列車が運行されました。ただし、開通時に利根川を渡る橋はまだなく、乗客は栗橋で一旦鉄道を降り、船で利根川を渡って対岸から再び鉄道に乗り直しました。利根川の橋が完成するのは、開通翌年の明治19年6月のことでした。
その後、明治32年(1899)に東武鉄道久喜駅が、昭和4年(1929)に同栗橋駅が、それぞれ開業しました。
宇都宮線は今年3月から上野東京ラインとして東海道線との直通運転が行われたことは記憶に新しいところです。
蒸気機関車と栗橋停車場
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