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第98回 清久に残る源平合戦の伝承

更新日:2024年4月1日

問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係

 今から約800年前、平安時代末頃、久喜市域には清久(きよく)次郎秀行(ひでゆき)という武士がいました。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』には秀行が源頼朝の家臣として仕えたことや、その後の清久氏が幕府の御家人(ごけにん)として活躍したことが記録されています。また、清久氏の館は、現在の上清久にある常徳院(じょうとくいん)の場所に構えられていたと伝えられています。
 この清久氏に関して源平の合戦の頃の出来事として、次のような話が語り継がれてきました。
 清久氏のいる清久城は白旗をなびかせていたので、白旗城(源氏)と呼ばれていました。この城から大きな沼を隔てて赤旗(平氏)をなびかせた赤旗城がありました。そして、両者がこの沼で激しく戦い、白旗側が劣勢の時に雷鳴とともに激しい雨が降り、大蛇が現れて赤旗城側を攻め滅ぼしたといいます。
 この沼は後に「白幡沼(しらはたぬま)」と呼ばれるようになりましたが、現在では昔の面影をみることはできません。しかし、白旗城があったといわれるところは、地元では「しらはたさま」と呼ばれる白幡山(しらはたさん)常徳院と白幡雷電神社があり、赤旗城があったといわれるところには赤旗神社があり、伝承を今に伝えています。
 源平合戦に見られる赤白対抗の構図は、大晦日に行われる紅白歌合戦や運動会など様々な場面で今でも使われています。日本の歴史に大きな影響を与えた源平合戦にまつわる伝承が、久喜地域にも残されることにロマンを感じます。


白幡山常徳院

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