第135回 久喜小学校の『学校沿革誌(えんかくし)【概要版(がいようばん)】ほか』
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
令和4年(2022)11月19日、久喜小学校において、久喜市立久喜小学校150周年記念事業実行委員会主催の記念式典等が開かれ、関係者に『学校沿革誌【概要版】ほか』が配られました。
「学校沿革誌」は、同校が保存している永年(えいねん)保存の公文書で、明治33年(1900)10月に編さんされて以降、代々加筆しながら保存されてきました。明治6年(1873)1月に開校した久喜学校(現在の久喜市立久喜小学校)は、本町(ほんちょう)一丁目の光明寺(こうみょうじ)本堂を仮校舎(かりこうしゃ)にして出発します。昭和38年(1963)に建てられた光明寺にある「久喜学校開校の碑」には、「茅葺(かやぶ)きの本堂を四教場(よんきょうじょう)に仕切り、障子(しょうじ)をめぐらし、暗い日は石油ランプをともして、けんめいに学業に励んだ」とあります。また同校の「学校沿革誌」には、開校の当日に裃(かみしも)を着た中島撫山(なかじまぶざん)が門生を率いて式場に臨み、『論語(ろんご)』を講義したことなどが記録されています。そのほか、明治期の遠足や運動で八甫(はっぽう)の中川(なかがわ)にある門樋(もんぴ)、大輪(おおわ)の砂丘上にある松山、鷲宮神社、利根川の堤防などまで出かけていたことや、大正12年(1923)の関東大震災を体験した時の対応などが記録されています。
今回配布された『学校沿革誌【概要版】ほか』には、この「学校沿革誌」の資料として、明治43年(1910)8月に発生した水害を契機に編さんされた「水害誌(すいがいし)」の概要部分と、昭和8年(1933)10月に編さんされた「郷土の調査」の一部を抜粋したものも加えて、それらすべてを読みやすい活字にして紹介しています。このうち、「水害誌」では、特に明治43年の水害に関する記録が実体験のものとして緊張感のある文章になっています。一方、「郷土の調査」では、今まではっきりしなかった遷善館(せんぜんかん)と、遷善館建学(けんがく)の由来を記した石碑の位置に関して記述した部分を抜粋して紹介しています。
市立図書館などで閲覧することができますので、ぜひご一読ください。
「学校沿革誌」・「水害誌」・「郷土の調査」の原本(久喜小学校蔵)
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