第22回 関所破りの伝承を伝える炮烙地蔵(ほうろくじぞう)
更新日:2018年7月25日
夏の定番の飲み物といえば「麦茶」という方も多いのではないでしょうか。昔は一般家庭でも大麦を焙烙(ほうろく)などでいって麦茶を作ったそうです。焙烙は最近あまり見かけなくなりましたが、ゴマや豆などをいる素焼きの平たい土鍋のことです。
江戸時代に日光道中栗橋宿(くりはしじゅく)として栄えた新町(しんまち)(現在の栗橋東3丁目付近)には、この焙烙が奉納される「炮烙地蔵」がまつられています。
炮烙地蔵は、宝永7年(1710)の銘のある地蔵菩薩の石仏で、昭和53年(1978)に旧栗橋町によって有形文化財に指定されました。石仏には「開発人」との銘もあることから、宿場やその周辺地の開発に携わった人物が建立したものと考えられています。
地元では、炮烙地蔵は「関所破りで火あぶりの刑にされた者を供養するために建立された」と伝えられています。江戸時代の関所破りの刑罰は磔(はりつけ)と定められていました。栗橋関所や宿場で火あぶりが執行されたという記録は現在のところ見つかっていませんが関所破りを伝える珍しい伝承です。
炮烙地蔵の「炮烙」は「焙烙」と漢字は異なりますが同義語で、両方とも「ほうろく」または「ほうらく」と発音します。中国の歴史書である『史記』には、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)が罪人を火あぶりにした刑罰のことを「炮烙之法」と記しています。炮烙地蔵の焙烙も「火あぶり」になぞらえて奉納されるようになったのかもしれません。
焙烙は、願いごとや子どもが誕生したときなどに名前を書いて奉納するそうです。炮烙地蔵のお堂には、奉納された焙烙が並びます。
炮烙地蔵がまつられる新町では、毎年8月23日に祭礼が行われています。お堂には赤い提灯(ちょうちん)が飾られ、地元の人々が参拝に訪れます。
炮烙地蔵
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