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第130回 久喜市の養蚕(ようさん)

更新日:2024年4月1日

問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係

 久喜市では、かつて養蚕が盛んに行われていました。養蚕とは、蚕(かいこ)の幼虫を育てて繭(まゆ)を作ることをいい、繭から糸を撚(よ)り合わせて生糸を作ります。生糸(きいと)は明治時代の主要な輸出品であったため、政府は養蚕を奨励し、久喜市域でも明治期の初めから徐々に養蚕が行われるようになりました。繭は農家にとっての貴重な現金収入だったため、大正期には主要な産業として地域を支えました。
 養蚕は、主に農家の母屋(おもや)の一室を使って行われました。まず、障子に目張りをして保温をした上で火鉢(ひばち)で暖をとり、蚕の卵を孵化(ふか)させます。孵化した蚕は、餌となる桑の葉を大量に食べる時期(齢(れい))と、食べずに動かない時期(眠(みん))を繰り返して大きくなります。5回目の齢になると、蚕は糸を吐き出して繭を作ります。こうしてできた繭は製糸会社などに出荷され、生糸になります。養蚕農家の中には、織機(しょっき)で反物(たんもの)にして現金収入とする家や、家庭用の着物を仕立てる家もありました。
 養蚕業を営んでいた方のお話では、生き物相手で非常に苦労が多かったといいます。蚕の病気が流行(はや)ると全滅することもあったので特に気を使ったそうです。また、蚕は桑しか食べないので、遠方まで買いに行くこともあったとのことです。
 久喜市の養蚕は、戦時中に食糧増産のため桑畑を芋類などに植え替えたことや、戦後に化学繊維が普及したことなどをきっかけに衰退しましたが、現在も養蚕農家の特徴である高窓(たかまど)がある家を見かけるほか、養蚕や糸の撚りに使われていた道具などが残っており、そこから当時の様子がうかがえます。


蔟(まぶし)(紙などを格子状に組んで繭作りの土台とする道具)の中の繭

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〒340-0295 久喜市鷲宮6丁目1番1号
電話:0480-58-1111 Eメール:[email protected]
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