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第57回 提灯祭(ちょうちんまつり)のご神体 八雲神社(やくもじんじゃ)の神輿(みこし)

更新日:2018年7月25日

 本町1丁目の天王院境内にある八雲神社の神輿は、久喜の夏祭りの際にご神体(牛頭天王(ごずてんのう))が乗る乗り物です。久喜の夏祭りは、「天王様(てんのうさま)」「提灯祭」または「けんか祭」とも言われ、現在は毎年7月12日から18日まで行われています。
 提灯祭(久喜八雲神社の山車行事)は、八雲神社の神輿がお仮屋(かりや)に安置されるところから始まります。その後、7つの町内(本一(ほんいち)・本二(ほんに)・本三(ほんさん)・仲町(なかまち)・新一(しんいち)・新二(しんに)・東一(とういち))から山車(昼は人形山車(にんぎょうだし)、夜は提灯山車)が繰り出され、祭りに華やかさをそえます。
 八雲神社は、もと天王宮と称し、曹洞宗(そうとうしゅう)天王院の別宮として祀られていましたが、明治初めの神仏分離(しんぶつぶんり)により八雲神社と改称しました。言い伝えによると、江戸時代、久喜藩主米津氏(よねきつし)の尊信をあつめ、享保(きょうほう)年中(1716~1736)に社殿が再建され、文化年中(1804~1818)に神輿を新調するなど、奉額や社殿の修繕なども度々行われたようです。
 江戸時代の史料にも天保(てんぽう)4年(1833)6月12日の「天王神輿再興割合控(てんのうみこしさいこうわりあいひかえ)」に、18両3分2朱で神輿を再興したとあります。
 また、元治(げんじ)元年(1864)6月に書かれた「天王宮御神輿諸掛覚帳(てんのうぐうおみこししょかけおぼえちょう)」には、160両で神輿を購入したともあります。この時は、江戸で制作された神輿を春日部から久喜まで、河川を利用して運ばれたようです。
久喜藩主米津氏の地元に残る貴重な遺産としては、天王院山門の門額「普應山(ふおうさん)」があります。米津政崇(よねきつまさたか)の落款(らっかん)と明和丁亥(めいわていがい)(1767)秋の記述が書かれていると伝えられています。
 現在、市指定文化財になっている神輿は、昭和55年(1980)に、多くの市民の協力によって修理が行われたものです。

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