市指定 埼玉梨の功労者五十嵐八五郎報恩碑
更新日:2018年7月25日
埼玉梨の功労者五十嵐八五郎報恩碑(さいたまなしのこうろうしゃいがらしはちごろうほうおんひ)
種別
歴史資料
指定年月日
平成8年4月1日
所在地
久喜市六万部
所有者(管理者)
久喜市
概要
碑文によれば、八五郎は安政元年(1858)に南埼玉郡三箇村の大久保嘉左衛門の二男として生まれました。明治4年(1872)に家を出て群馬県大島村(現前橋市)、千葉県でそれぞれ1年間梨栽培の修業をし、その後大里郡三ヶ尻村(現熊谷市)で8年、計10年間、梨の栽培実地研修を行いました。同13年11月に大里郡武川村(現深谷市)で梨栽培に専念し、収益も多く得ました。しかし、この有利な業を1人占めすることはできないと、同17年からは三箇村、栢間村、江面村、その他各村を廻り、梨栽培の有利性と技術を伝えました。
梨栽培を教わった者はいずれも結果良好で家産を増やした者は教えきれないと記され、その子弟が五十嵐翁の徳を感謝するためこの石碑を建てました。
この碑は、明倫館第3代館長の宮内純が大正11年(1922)に書いたもので、高さ180センチメートル・最大幅80センチメートルあります。
埼玉梨の功労者五十嵐八五郎報恩碑
『広報くき』連載「久喜歴史だより」
第20回 埼玉梨の元祖五十嵐翁(いがらしおう)の業績を称える” 梨の記念碑(なしのきねんひ)
参考文献
案内図
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